学制以前の教育は寺子屋が主流

では学制、義務教育が始まる前の日本では一般の人々はどのように読み書きなどを学んでいたのかというと主に「寺子屋」という場所で学ぶのが主流でした。

 

 

他にも「私塾」と呼ばれる身分を超えた教育機関なども存在し、有識者らなどが経営に携わっていた背景があります。

 

  

 

私塾・松下村塾

 

 

寺子屋であれば、おそらくあなたも教科書で一度は見たことがあるでしょう。

 

 

明治5年の学制が制定されるまでは公立の学校と呼べるのは幕府の管轄にあった学問所や武士の育成用に使用されていた藩校くらいしか存在しませんでした。

 

 

そして、藩校などは基本的には一部の例外を除いて武士以外の町人や農家の子供たちが学ぶことはできなかったのです。やはり武士の為のエリート教育を施す為の施設だったのです。

 

 

そこで、圧倒的多数の武士以外の庶民たちは民間の個人が経営する教育機関などで読み書きなどを独自に学んで育つというのが江戸時代の基本的な学習スタイルでした。

 

 

寺子屋は今で言う個人の経営する学習塾のようなものであり、寺子屋の経営者と教えを授ける師匠と呼ばれる教師役の人が同一人物だったのです。

 

 

ちなみに、この寺子屋は開業にあたって特別な免許も許可も一切必要無く、公式に記録されているだけでも全国で1万数千もの寺子屋が存在したと言われています。

 

 

実際には記録漏れが数多く存在したようで、全盛期にはその数倍以上の寺子屋が日本全国に存在していたのです。

 

 

信じられないほどの数ですが、当時は教えようと言う気持ちがある人であれば誰もが簡単に教師になれるという時代でもありました。 

 

 

寺子屋は義務などではなかった

 

 

そして、最も注目するべきなのは寺子屋はあくまでも任意的に読み書きなどを学ぶ為に親や子供たちが通っていた、という点でしょう。

 

 

寺子屋は強制就学などではなく、あくまでも個人の意思によって学ぶかどうかが決められていたのです。

 

 

義務的に学ぶことを強制されていたのは当時の支配階級である武士程度であり、それは人口のわずか1割未満の数に過ぎませんでした。 

 

 

以下の円グラフは1872年の学制公布当時の人口を身分階級別に分けて数値化したものです。なお、作成のために「自由社 新しい歴史教科書」の160ページを引用させて頂きました。

 

 

皇族・華族

士族

旧神官など

平民

0.01%

5.49%

0.9%

93.6%

 

 

つまり、その他9割以上の圧倒的多数の一般庶民たちは基本的に誰からも学ぶ事を強制されることは無かったのです。

 

 

そして、この寺子屋が果たした役割は非常に大きいものがあり、家がお金持ちでない貧しい家庭の子供でも寺子屋で学ぶことは珍しいことではなかったのです。

 

 

有料でお金がかかる民間経営の寺子屋が多かったのですが、寺子屋はもともと寺院で物を教えたのが始まりだと言われており、無料で読み書きなどを教えるボランティア的な団体もありました。

 

 

また、授業料としてお金の代わりに食料品などを師匠に手渡して教えを受けることができるという寺子屋も存在しました。

 

 

それゆえに貧しい家庭でも読み書きできる子供は比較的多く、武士階級以外の町人などの普通の人でも読み書きできる人は数多く存在したのです。 
 
 
そして、もう一つ注目するべき点はこの当時は庶民の子供・家庭が教えを受ける寺子屋・教育施設を選ぶことができたという点でしょう。
 
 
現在の日本では学校を神聖視する傾向が非常に強いと私は常々感じておりまして、学校に合わせることができない子供は駄目な奴だと非難されることが多いものです。
 
 
しかし、私の考えでは当時は1つの寺子屋で上手く学べないからと言って「人間失格だ!」などと言われるようなことは無かったと思うのです。
 
 
なにせ寺子屋は幾つも存在していましたので、寺子屋を変えて教えを受けることも普通に可能だった時代ですから親も子供に合う学習環境を選択する権利があったのです。
 
 
このように昔の日本では強制就学とは程遠い実態がありましたが、人々はそれぞれの境遇の中で学ぶことの意味や必然性というものを感じれば自らの意思で学ぶのがごく普通でした。


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