義務教育はヨーロッパから輸入したもの

明治の学制、つまり義務教育とはそもそもとしてどんな経緯で作られたのかと言いますと、19世紀の西ヨーロッパの義務教育制度を手本に明治政府が日本に取り入れたものです。 

 

 

なぜそんなことになったのかと申しますと、これにも産業革命が大きく関わってきます。

 

 

産業革命に乗り遅れた日本

 

 

イギリスが世界最初の産業革命を達成し、この産業革命により農業中心の人類の流れが工業化に移行したことをお伝えしました。

 

 

そしてこの近代工業化の流れはヨーロッパを中心に世界各地へ広がりを見せ始め、フランス・ベルギーなどの西側諸国を中心に世界各地へ拡大したのですが、日本はこの産業革命の流れに大きく乗り遅れる事になったのです。
 
 
日本での産業革命が本格的に始まったのは1890年代付近と言われており、 ヨーロッパの国々と比べると圧倒的に遅かったのです。
 
 
本家イギリスと比較すると100年前後は遅れていたという計算で、日本は国家が農業主体から工業主体に移り変わり発展するという過程が未発達だったのです。
 

 

戦争に勝つための体制作りとして

 
 
そして、この産業革命により国が工業化になるというのはある目的があり、それは他国との戦争に勝つための国力を得るという意味が強かったのです。
 
 
ヨーロッパの国々の多くは既に産業革命を経て強大な武力を持った工業国家が続々と誕生している中で、当時の日本には近代工業化自体がまだまだ発展途上だったという現実がありました。
 
 
そこで日本の明治政府がフランスやドイツなどのヨーロッパの義務教育制度を参考にして、日本でも同じような近代工業化・富国強兵の政策を進めるべきだと判断し、1872年に義務教育となる「学制」を開始したのです。


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