日本はドイツの義務教育の影響が強い

ヨーロッパから日本に輸入された義務教育というシステムですが、実はこの当時の学制は19世紀のドイツの教育制度の影響をかなり強く受けていたという背景があります。

 

 

義務教育が最も早く制度化されたドイツ

 

 

 

 

産業革命が最初に起こったのはイギリスですが、それならばイギリスが最も最初に義務教育の制度化が進んだのではないかというと、実は違います。

 

 

イギリスは確かに1870年に教育法、つまり義務教育にあたる法案が可決されましたが、イギリスは不干渉主義・個人主義の傾向が強い国であり、義務教育制度が発展するのに相当な時間がかかりました。 

 

 

中央政府・国家の決めた学習指導要領(カリキュラム)になぜ従わなければならないのかという反発や、義務教育制度が始まる以前の多様な教育方法を認めるべきなのではないかという政府の理解なども含まれていたのでしょう。

 

 

対照的に、ドイツはこの義務教育制度が最も早く進行した国だったのです。

 

 

ドイツで産業革命、つまり近代工業化の流れが始まったのが1840年代と言われており、イギリスやフランスをはじめとする他のヨーロッパの国々よりも大幅に遅れていました。

 

 

ドイツはその当時は長期間の戦争などにより国家の統一が遅れており、産業革命に移行して国家が発展する為には国民全体を中央統制化された政府の下で管理・教育する必要性がとにかく強かったのです。

 

 

何よりも近代工業化に必要な労働力を徴収するという目的の他に、戦争などの非常時には都合の良い兵士を確保しやすくするということも教育制度において重要なことでした。

 

 

工場労働における一般労働者というのは、そもそもとして機械の歯車と同じ扱いです。

 

 

そこで求められる資質というのは自主性や主体性があることではなく、現場監督の指示に忠実に従ってどれだけ言われた事を正確にこなせるかどうかでした。

 

 

そうした人間というのは軍隊の兵士などとも基本的に同じ属性に分類されるので、結果的に産業用の労働者を作る制度は国家主義を強めることにも有効だったのです。

 

 

そこでプロシア、つまり現在のドイツが集団一斉の授業を行い同じ年齢の人間を1つの空間に隔離して進級させるという現在の学校教育制度を生み出したのです。

 

 

ここから中央統制された学校教育というのは開始されたと考えて下さい。

 

 

ドイツの場合はそれまでの教会中心の学校運営を国家の定めた公教育制度に変更し、国家の中央統制化を強める為の公教育制度を作り上げたのです。

 

 

分かりやすく言うならば、国民を政府にとって都合の良い存在に仕立てる為の国家主義的な色合いが強い義務教育こそがドイツの基本方針だったと言う事です。

 

 

実際に、現在でもイギリスとドイツではホームエデュケーション(ホームスクール)が社会的に受け入れられているかどうかの違いを見れば、全く2つの国では扱いが違う事がわかります。

 

 

イギリスではホームエデュケーションなど政府の学校で義務教育を受けることなく成長するという権利が社会的に広く認知されています。

 

 

反対に、ドイツでは義務教育は国民の義務とされホームエデュケーションを選択しているという家庭は殆ど存在しないという背景があります。

 

 

推進団体などの活躍で若干増えているということは私も聞いた事はありますが、それでも裁判などに巻き込まれるケースが多いということを考えれば、学校神話がどれだけ根強い国かが分かるでしょう。

 

 

ドイツ以上に産業革命が遅れていたからこそ

 

 

では、1890年代になって本格的な産業革命が始まった日本はそれまでにどうしたかというと、学制を公布し国民教育制度を開始したわけですが明治政府は西洋諸国と比較して近代工業化が遅れていた事に大変な焦りを感じていました。

 

 

だからこそ、西側諸国の産業革命との開きを埋める為に急速な国家統制・国民の公教育制度を充実させる必然性を感じ、最初に義務教育制度が進んだドイツの教育制度を中心に学制を公布したわけです。

 

 

実際に、初代内閣総理大臣の伊藤博文は大日本帝国憲法のモデルをイギリスやフランスではなく、当時のドイツのプロイセン憲法に見出していたことが明らかになっています。

 

 

そして、憲法以外のさまざまな部分でもドイツからの影響というものが強く存在し、それが教育制度に顕著に表れたという背景がありました。


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