産業革命から現在の義務教育は始まった

 

全てはイギリスの産業革命から始まった

 
 
まず、日本にはもともと全ての国民が学校に通い教育を受けるという慣習自体が存在せず、明治5年(1872年)の学制が今の義務教育の始まりです。
 
  
ではその義務教育はどこで、どのような経緯から始まったのかというと、産業革命こそが義務教育の最大のきっかけだったのです。
 
 
産業革命とは18世紀半ば(1760年〜1830年ほどの間)にイギリスで起こった現象で、今まで農業中心だった人間の活動が工業中心に変わり、社会全体の構図が大きく変化するきっかけとなった出来事のことです。 
 
 
 
 
 
この産業革命により蒸気機関車や蒸気船などが登場し、その結果人間では運ぶのに大変な荷物や人員を短時間で大量に移動させる事ができるようになったのです。
 

 
それ以外にも、綿や糸などの繊維製品などの製造も大きく変わっていきます。
 
 
今までは人間が手作業で時間をかけて作っていた製品が、産業革命に入ると多くの機械が発明されたことで短時間で大量に作れるようになりました。 
 
 
このように便利で良いことずくめだと思える産業革命ですが、実は深刻な問題も引き起こされることになりました。それは、
 
 

1 大量の失業者の出現

2 資本家と労働者の深刻な格差

 
 
この2つの問題です。ではそれぞれ順番に解説していきたいと思います。
 
 

1 大量の失業者の出現


 
 
産業革命以前は職人と呼ばれる大勢の人達が手工業(しゅこうぎょう)、つまり手作業で製品を作りお金を稼いでいました。
 
 
しかし産業革命が起きると工場が作られ、工場の機械で人間が手作業で作っていた製品を短時間で大量に作れるようになったのです。
 
 

その結果、人間は機械に仕事を奪われて仕事を失う事になり、大量の失業者が生み出されてしまったのです。

 

 

 

 

2 資本家と労働者の深刻な格差


 
 
産業革命後には工場が各地で建造され数多くの機械が置かれましたが、この工場は誰のものだったのでしょうか?
 
 
実はこの工場は資本家(しほんか)と呼ばれる人間たちのものでした。
 
 
資本家を明確に決めるのは難しいのですが、ここでは産業革命以後の資本家(産業資本家・ブルジョワジーと呼ばれる)について解説します。
 
 
資本家とは労働者には無い広大な土地や工場・機械などの設備を持ち、工場などで労働者を労働させて商品を作らせ、完成した商品を世の中に送り出す事で富を得ていたお金持ちのことです。 
 
 
反対に労働者(プロレタリアート)とは、資本家のように工場などを持たず安いお金で資本家に雇われて労働することで生計を立てる人々のことです。

 
 
今まで手作業で作っていた製品を機械が作れるようになったので、結果的に職を失う人々が沢山出てしまったということを既にお伝えしましたが、それでは失業者たちはその後どうなったのでしょうか?
 
 
実はその失業者たちの大部分が資本家の所有する工場などで働く労働者になりました。しかし、この当時の工場はあまりにも酷い労働環境だったのです。
 
 
資本家の利益は労働者の生み出す生産量にともない変化しますが、労働者に対して多額の賃金を与えていては資本家の利益は減ってしまいます。
 
 
それなので、できるだけ安い給料で長時間労働者を労働させようとする産業資本家が相次いで現れたのです。
 
 
1日に15時間や16時間の労働をさせることは珍しくなく、怪我や病気などで労働者が仕事ができなくなっても何の保険も保障もないのが普通でした。
 

 
与えられていた給料というのも労働者がなんとか餓死せずに生きていられるというレベルの低賃金であり、労働者に価値が無くなれば他の労働者と入れ替えられるという、使い捨てのような扱いがごく普通だったのです。  
 
 
その一方で資本家は労働者の生み出す価値を搾取し大量の富を所有し、利益を労働者には殆ど還元しなかったというのが一般的でした。
 
 
そして、この問題の流れを変える1つのきっかけとして児童労働の問題があったのです。
 
 

社会問題となった児童労働

 
 
産業革命からしばらくの間、市民・労働者の階級の子供たちは悲惨でした。
 
 
年齢にして6〜7歳くらいの子供を長時間労働させることも珍しくなく、子供は大人たちよりもさらに安い給料で使い続けることができました。
 
 
なによりも子供は工場などの現場監督者たちにとって、非常に都合のいい存在でした。
 
 
力も弱く従順で言われた事には黙って従ってくれるので、
暴力や虐待を受けても大人たちのように
逆らったりする心配はとても少なかったのです。  
 
 

しかし、勿論こんな状態でいいはずがないと叫ぶ労働者たちは数多く存在し、その後に大きな変化のためのきっかけが重なりました。
 
 

  • 貧困に伴い犯罪が多発することでの治安の悪化
  • 都市部などの貧民街化(スラム)の急速な進行
  • 工場などで働く労働者の異常なまでの短命化
  • 労働者や社会活動家などの抵抗活動

 
 
このような数多くの問題が相次いで発生し続けたので、政府は労働者の低賃金と過酷な長時間労働などを深刻な問題と捉え、ようやく改善に動き出し始めたのです。
 
 
 
 
 
 
1833年にイギリスで定められた「工場法」呼ばれる法律があります。
 
 
これは労働者を不衛生で劣悪な環境で長時間労働させることを禁止する目的で作られ、子供や女性らの長時間労働を禁止・制限する意図が特に強かった法律です。
 
 
このあたりからようやく社会全体で労働者の権利を守るという流れに風向きが変わり始めた、というのが過去の歴史なのです。

 
 
逆に言うならば産業革命当初から数十年間というのは労働者を保護する法律など存在しなかったということです。
 
 
使い捨ての奴隷としてブルジョワ階級の人間が労働者を馬車馬のごとくこき使い、自分の利益だけの為に過重労働をさせるのが普通だったわけです。
 

 

工業地帯での衛生状態の酷さが拍車をかけて、工業都市の労働者の平均寿命は15歳〜20歳程度だったという驚くべき記録も存在するほどです。
 
 
分かりますか?1800年代の近代化された人間が、平均寿命で15歳前後しか生きられなかったということです。
 
 
これらを踏まえて考えれば、当時の労働者階級の扱いの悲惨さがよく分かるでしょう。
 
 

都合のいい労働者を作れる仕組みが必要になった

 
 
さて、産業革命により近代工業化が進むと庶民の教育はどのように変化することになったのでしょうか?
 
 
簡単に想像がつくかもしれませんが、労働者を生み出せる仕組みが必要になったのです。
 
 
実は産業革命が起きる以前のイギリスでは全ての国民が学校に通い、政府が決めた授業を受けるということはありませんでした。
 

 

それまでは各地に点在していた宗教団体、とりわけキリスト教会や教育機関などが任意的に付近の住民たちに読み書きなど、基礎的な教えを授けていたに過ぎなかったのです。 
 
 
しかし、産業革命後に資本家が相次いで登場し、イギリスが世界で屈指の工業大国として発展した結果、国家の工業化の維持・発展に必要な労働者を育成する必要が出たのです。 
 
 
そして、年齢が幼く基礎的な識字能力が備わっていない子供よりも、ある程度の読み書きと計算などができる大人の方が職場での作業もはかどるので資本家には好都合でした。
 
 
そこで国が中心になり、国民全体に対して大金持ちである資本家の役に立つ労働者の育成を開始したのです。
 
 
要するに、
 
 
 

・命令に従順な人間
 
・工場の現場監督に逆らわない人間
 
 
 
この2つの条件を満たせる人間というのが工場労働では生産効率が高かったわけです。
 
 
工場労働では人間が機械の歯車のごとく、決められた役割をただ流れ作業の1つとしてこなし続けるだけです。
 
 
そこには自ら試行錯誤したりすることや、主体性も独創性も必要ありません。
 

 

ロボットのように言われたことに黙ってハイハイと従う人間が、一番使い勝手が良く愛されたのです。 
 
 
この工場労働においての生産様式に合致した人間を作り出すことを目的に、義務教育(集団教育)は開始されたのです。
 
 
1870年にイギリスで教育法という法律が定められましたが、これこそがイギリスの義務教育の始まりでした。
 
 
ただし、産業革命を最初に起こしたイギリスが世界で最も最初に国の中央統制された教育制度が普及したかというと、そうではありません。
 
 
イギリスは実質かなり遅かったという背景がありました。
 
 
この産業革命の流れが世界へと広がり、各国の工業化と制度としての義務教育が普及することになったのです。


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