戦時下の学校教育

 

日本の戦時下、第二次世界大戦(大東亜戦争)の只中の学校教育はいたって簡単で極端な国家主義教育が施されていました。

 

 

既にご存知のとおり日本はこの大東亜戦争に敗北しましたが、日本がまだ劣勢に立たされていた時期というのはいわゆる「お国の為に」というのが国民全体の共通意識として広まっていたのです。

 

 

全てが戦争の為に使われた

 

 

学制は国民全員に共通の教育を施し西洋諸国と同等の近代国家を作り上げることを目的として作られましたが、戦争の緊迫感とは無縁の状態の中では個人の立身出世を名目としていました。

 

 

しかし、大東亜戦争の渦中にあってはもはや個人の立身出世というのは殆ど置き去りにされて、国家の存続の為の国民形成こそが唯一の目標とされました。

 

 

結局は国家が滅びてしまえば個人の立身出世もへったくれもないので、昭和16年(1941年)には国民学校令の公布によりそれまでの小学校が国民学校と改名されたわけです。

 

 

この国民学校の目的というのは「皇国民の練成」という目的の元、戦争に勝利する為の人材育成・カリキュラムに完全に変更されました。

 

 

そして日本が本土決戦に移行し完全な劣勢状況になると、国内の人員だけではなく物資も殆ど全てが戦争のために使われることになったのです。

 

 

個人が所有する色々な所持品が姿を消し、綿製品や皮革製品・金属類などが戦争に勝利するために政府に差し出されることになりました。

 

 

「欲しがりません、勝つまでは」という合言葉が日本全国で叫ばれていたのもこの時期であり、実際国民は相当な倹約・困窮状態を余儀なくされていたわけです。

 

 

そして注目するべきなのは国民の生活・教育・物資や交通など全てを日本政府が支配統制し、国民は総動員体制で戦争勝利という1つの目的に向けて突き動かされていたということでしょう。

 

 
学徒出陣勤労動員などがまさに代表的で、戦地に送り出される学生や軍事工場などで働かされる女子などの存在も普通だったことから当時の日本がどれほどまでに不利な戦況だったのかは容易に想像が付くと思います。

 

 

 

結局、日本はアメリカをはじめとする連合国に敗北し1945年(昭和20年)の8月15日に降伏することになりましたが・・・いかがでしょう。

 

 

個人に立身出世思想を植え付けて学校に通わせることが、究極レベルにまで発展した国家主義教育の中では間逆の方向性に切り替わった歴史の真実です。

 

 

国家にとって必要な人材を徴収するという本来の教育制度の目的がむき出しにされた状態を垣間見る事ができたのではないでしょうか。

 

 

国が追い詰められると、これほどまでに学校教育の中身というのが変わってしまったということです。

 

 

ただ、ここではこの当時の日本の軍国教育が良かったのか悪かったのかという判断は致しません。強すぎた国家主義教育というものが存在したのだと言う事実だけをお伝えします。


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