「個人の幸せ」を優先した方が賢明

学校では「個性が大切だ」とか色々と言われますが、現実問題として学校では個人の個性や幸福などは問題にされません。

 

 

しかし、それは結局のところ学校というものが登校する児童生徒らの為に存在しているわけではないからです。

 

 

それならばいっそのこと学校を離れて別の選択を選び取り、本当に毎日を幸せに生きた方が個人の観点から見れば得であり賢明です。

 

 

周りの人間と同じことができる人間が評価され、周囲の人間と同じことができない人間は政府の学校では基本的に評価されません。

 

 

そして政府の学校の教師たちも基本的には子供たちの将来のことなどは考えていないもので、「みんなと同じことをしなさい」と言うだけなのが普通でしょう。

 

 

そうした中で政府の学校という組織の中に居続けることが果たして本当に個人の幸福になりえるのかどうかは、冷静に真剣に考える必要があるはずです。 

 

 

学校に価値を感じられないのであれば、わざわざ政府の学校にストレスまみれになりながら登校する必要などありません。

 

 

政府の学校は個人の幸福を追及しているわけではなく、あくまでも政府や周辺産業などの利益を第一に考えて運営されているのが実情です。

 

 

だからこそ、非人間的な授業や行事などが学校では日常的に行われているのです。そうした学校教育に価値を感じられる人や意味を見出して登校し続けている人は別にそれでもいいでしょう。

 

 

しかし、なんの意味も見いだせずに無目的に嫌々ながら通っている子供というのは幸せでもなんでもありません。

 

 

それならばフリースクールやホームエデュケーションなどの方法で学び成長するほうが精神衛生的に遥かに有益であり健全なのです。

 

 

なぜならば人間の時間は誰しも有限であり、個人の価値観も異なるからです。

 

 

「みんながしているから」というのは愚かな事

 

 

よくありがちな事ですが、みんな学校に来ているのに来ない人が出てくると

 

 

「ずるい」
「なんであいつだけ来ていないんだ!」
「みんな耐えているのにおかしい!」

 

 

・・・というようなことを言う同級生なども出てくるものです。しかし、はっきり断言しますがそれはほぼ間違いなく単なる嫉妬(しっと)です。

 

 

要するに自分たちは嫌々ながらでも我慢して登校し続けているのに、学校に通わずに誰の命令も受けず好きな事を自分のペースで続けているような人がいるという現実が許せないわけです。

 

 

でも、これってよく考えてみればすごく変なことなのです。

 

 

別に学校に姿を見せない人が出て来たから、学校に通っている人が道義的な損害を受けるようなことなんてあるでしょうか?

 

 

・・・おそらく殆どそんなことはないでしょう。

 

 

何よりもそうした意見を言う人は自分が嫌な授業などに耐えているという意識でいるはずですが、勉強とは本来自分が好きで価値を感じるから取り組むべきことのはずです。

 

 

嫌々ながらでもみんなが続けているから自分も仕方がなく続けているというのは、自分で何も考えていないという証拠ではないでしょうか。ただ流されているだけだと言えるでしょう。

 

 

私は少なくとも政府の学校が嫌ならば行かなければいいという考えの人間です。

 

 

そして、本当に個人の価値観に合致した選択を自由に選ぶ人がどんどん増えて欲しいのです。


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