「時間」は本来個人の所有物である

政府の学校に対する価値観は見方というものは千差万別ですが、学校に意味がないと思う人にとっては学校での時間は単なる時間の無駄でしかありません。

 

 

そして時間の無駄とは「人生の浪費」そのものだと言えるでしょう。

 

 

しかし、時間とは本来ならば各人の固有の貴重な資産で、それは学校に通っている児童生徒らの時間も例外ではないのです。

 

 

時間の使い方はそれぞれ違うのが当たり前

 

 

学校ではいつどこで、どんなことを誰とするかを全て学校が取り仕切っているのが一般的です。

 

 

そして教師や学校の決めた方針などに従うのが当たり前で、指示したことに忠実に動かない子供は劣等生・問題児扱いされてしまうものです。

 

 

しかし、そもそもとして人は興味の対象は誰しも違います。

 

 

算数が好きな子供もいれば外国語の学習が好きな児童生徒もいるでしょう。漢字の学習をずっと続けていたいと思う子供がいても全くおかしいことでも何でもないはずです。

 

 

しかし学校では時間割などというものがある為に、好きな事や興味のあることを自分のペースで積極的に学ぶということが不可能です。

 

 

これは言い換えるならば学校が通学している児童生徒らの時間を搾取(さくしゅ)していることに他ならないと言えます。

 

 

興味のないことや、個人にとって無意味な授業などを強制的に押し付けて個人の成長を阻害しているとも言えるでしょう。

 

 

興味のない勧誘や営業が延々と続く

 

 

学校関係者は無意味な授業などしていないと口を揃えておっしゃるかもしれません。

 

 

しかし、あくまでも価値を感じられるかどうかは授業を受けている児童生徒たちが決めることであって、管理する立場にある人間が軽々しく口に出すべきことではないのです。 

 

 

理科の学習を進めたい人が、全く関係ない科目の授業を30分や1時間近くも続けなければならないというのは本当に健全な状態だと言えるでしょうか?

 

 

私は全く健全だとは思えません。

 

 

例えばですが、ある日あなたの家に新興宗教の勧誘や訪問販売の営業などを目的とした人物が来たとします。

 

 

そして、全くわけのわからない内容や興味の持てない話を10分・20分どころか30分以上も話し続けられたとしましょう。

 

 

そして、こうしたことが毎日のように続くと考えてみてください。

 

 

・・・どう考えても、そんなことを続けられれば訪問者を追い返すのが自然のはずです。

 

 

人間の時間は少なくとも人間が不老不死でない以上は上限が決まっているわけですから、こんなことを受け続けなければならないのは人生の浪費だと誰もが思うでしょう。

 

 

それにもかかわらず、政府の学校という領域だけは特別扱いされて、無駄だと思えることでも我慢しなさいと言われるのはおかしな話だと私は考えます。

 

 

学校の宿題などについても全く同じことで、必要性の無い課題などを児童生徒らに強制するのはおかしなことです。

 

 

子供の帰宅後の時間をさらに拘束する結果になっていることはよくよく考えてみれば誰でも気づくでしょう?

 

 

学校はとにかく個人の所有する貴重な資産である「時間」を差し出せと当たり前のように振る舞っていることがよく分かるはずです。

 

 

しかし、時間をかけてお金を取り戻すことはできますが、逆に時間をお金で買い戻すことはできません。

 

 

嫌な思いをして登校し続け何も得られるものがなかったとしても、学校関係者がその時間を返してくれるわけではないのです。

 

 

学校で嫌な授業を受けるのが当たり前という価値観は本当に正しいと言えるのかを、真剣に考えましょう。


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