無意味な事を耐えるのは単なる自己満足

学校では嫌なことを耐えることが美徳だとされていますが、それは単なる自己満足で終わることが殆どです。

 

 

そもそもとして、学校を嫌だと感じる理由があるのならば学校を離れればいいだけの話なのです。

 

 

明らかにこのまま学校の授業などを嫌々ながら続けていても何もないだろうと感じるのならば、自分自身の感情と価値観を信じて学校に通うことをやめればいいのです。

 

 

学校が嫌な場所だと思う時点で考えるべき

 

 

嫌な事でも我慢して耐えることが当たり前で大切なことだと言う人は、日本では特に多いものです。

 

 

しかし、学校がなぜ嫌なのかという理由を突き詰めて考えてみれば、それは学校での授業や行事などに意味を見いだせないからだと思います。

 

 

授業などが無価値に思えて自分自身の未来とつながっているという実感が持てないということなど、理由は人それぞれだと思いますが、それならば耐える理由などありません。

 

 

「嫌な事をせずに生きていけるわけがないだろう!」
「時には我慢も必要だ!」
「学校も我慢できないようでは大人になってからどうするの?」

 

 

・・・などという言葉を発する人も確かに存在しますし、実際私の周辺にもそうした人がいたものです。

 

 

しかし、どんな考えを持つかは人それぞれでいいと思いますが、学校に対する価値観や感情は何度も申し上げたように一人ひとり違うのが当たり前なのです。

 

 

政府の学校に通った方がいいという価値観の人は政府の学校に通学すればいいでしょう。

 

 

でも、学校に通うこと以外は正解でないなどということはありません。

 

 

「学校に通うのが当たり前」という世間一般の意見にすべての人が合わせる必要など存在しないのです。

 

 

「政府の学校に通学して授業を受けるためのお金や時間がもったいないから通学しません」という価値観の人がいてもおかしなことではありません。

 

 

なによりもまず、勉強というのは本来自分が心の底から価値を感じて学びたいと思うからこそやるべきことではないでしょうか。
  

 

それを嫌々ながら仕方がなくこなしているという時点でそもそもおかしいと思わないでしょうか? 

 

 

「嫌だけど我慢している自分は偉い」
「いいことないけど耐えている」

 

 

・・・などと感じている時点で少なくとも私は何かがずれていると感じるのです。

 

 

それは結局、長い目で見れば単なる自己満足でしかなかったということにしかならないと私は考えています。

 

 

 

我慢することも、他者を思いやり気づかうことも確かに必要な事だと思いますが、我慢する必要がないことを仕方が無く耐えることは美徳でもなんでもありません。

 

 

我慢も思いやりも、別に学校に行かなければ学べないわけではありません。


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