登山でどこから頂上を目指すかは自由

義務教育というのはあくまでも1つの通過点に過ぎません。

 

 

登山に例えるととてもよく理解できると思いますが、頂上まではいろいろな道があるのがわかるでしょう。

 

 

頂上が学校ではないことに注目

 

 

山があれば、そこに到達するための道のりは1つではありません。

 

 

頂上という目的地に到達するために登山者が移動するわけですが、現実では頂上とは何でしょうか?

 

 

私が思うに、子供が将来理想とする職業や生活スタイルそのものではないでしょうか。

 

 

その目的を達成するためのルートの1つとして政府の学校が存在するわけです。

 

 

 

 

 

しかし、現実はどうかというと学校に通うこと自体が目的になっているパターンが非常に多いのです。

 

 

義務教育というのは本来ただの1つのルートに過ぎないのに、それ自体が子供にとっての絶対の通過点と認識されてしまっているのが今日の日本の病理だと思うのです。 

 

 

現実は学校を卒業してからの方が人生はずっと長く続くわけで、学校を卒業することが頂上(ゴール)になっていること自体がおかしなことなのです。

 

 

そうではなく、自分自身のゴールのために学校とは利用するためにある場所なのだという認識を当事者よりもまず先に、親などの周辺の大人がしっかり理解して下さい。

 

 

どんな手段が他に存在するのかはこのサイトをくまなくご覧いただければ問題ないでしょうからここでは割愛しますが、とにかく学校は頂上ではないのです。

 

 

どんな道を歩み、どんなペース配分で登り、誰と登るかなどということも本来は全て自由なはずです。

 

 

そして、どんな道をたどっても最終的に頂上から見える景色というのは変わりません。どんな道から登っても正解であり、山を登り切ったという結果は同じなのです。

 

 

あくまでも違うのは途中までの道のりだけであり、移動方法だけというのが真実です。

 

 

今までは義務教育以外に登山方法が教えられていなかったかもしれませんが、もう唯一の正解にこだわるのはいい加減止めにしましょう。

 

 

私自身、幼少の頃から義務教育というものが自分の運命のように言われ、通うのがさも当たり前のような風潮で育ってきましたが、やはり不自然極まりなかったと思います。

 

 

理不尽なことや納得できないことも山ほどありましたが、それでもただ1つの正解だと信じていたからこそ私は政府の学校に通っていました。

 

 

しかし、ただ1つの正解に縛られておかしくなってしまった人々が数多く存在するのが現実です。

 

 

自信を喪失する人も、暴力的になる人も、無気力になる人も、果ては自殺してしまう人も1つの登山方法しか教えられていなかったことと深い関係があるのではないでしょうか。


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