学校自体に価値を見いだせない

子供が不登校になる原因の中で、現在の学校に通う意味を見いだせないということがあります。

 

 

これは最も大きい要因である可能性が高く、政府の学校教育の本質と児童生徒らの要望が一致していない証拠でもあります。

 

 

時間を投資する価値を感じられなければ不登校は自然

 

 

日本の義務教育(集団教育)は西洋諸国から取り入れた制度であり、その本質は国家が維持・発展するために必要な単純な労働力を作り出すことでした。

 

 

それは現在も全く変わらず、政府の学校の中で子供に求められることというのは以下のようなことです。

 

 

1 教師の命令に従順で、逆らわないこと
2 役に立たないと思っても学校の勉強で少しでもいい点をとろうとすること
3 嫌なことがあっても黙ってハイと言い休まず学校へ通うこと
4 みんなと同じことを同じように出来ること

 

 

およそこんなところでしょうが、これが全てできる子供がいわゆる学校の優等生でしょう。

 

 

で、これができない子供は劣等生だとか落伍者だとか言われながら非難され、学校に連れ戻されることになるわけです。

 

 

ですが、これはあくまでも管理者の都合であって、当人たちにとっては学校など別にどうでもいい場所かもしれないのです。

 

 

例えばですが、ある人にとっては英語はとても重要かもしれませんが、またある人にとっては英語は全く重要ではないかもしれません。

 

 

数学の授業に価値を感じる人もいれば、感じられずに見向きもしない人もいるでしょう。

 

 

それは人間には個体差があり、人生の目的も価値観も全てが異なるからです。

 

 

そして、人生の目的目標に応じて今自分は何をするべきかを考えて、最適なことを学ぶというのが本来はとても自然なことではないでしょうか。  

 

 

将来の夢がサッカー選手だと言う人で、野球やテニスの練習を一生懸命する人がいたとき、あなたはどう思うでしょうか?

 

 

私ならば「この人は何してるんだろう?サッカーが上手くなりたいはずなのでは・・・」と感じてしまいます。

 

 

恐らくあなたもそう思うでしょう。

 

 

自分の人生の目的や目標に合致する行動をとるのは我がままでも何でもなく、ごく自然の普通なことです。

 

 

時間の使い方は誰しも違っていいに決まっているはずなのに、興味も関心もないことを無理やりやらせようとしているのが政府の学校なのです。

 

 

こんなことをずっと続けることに疑問や不満を持つ人が現れることは異常でしょうか?

 

 

少なくとも私は現行の学校教育のほうがよほど異常だと思います。

 

 

それでも学校はちゃんと一通りの教養は身につけておかないと生きていけないなどというかもしれませんが、学校の教育など受けなくても社会で立派に活躍している人は沢山います。

 

 

小学校しか出ていなくてもかなりのお金持ちに成り上がった人も私は知っています。

 

 

ましてや教科書に書いてあることをただ覚えるだけならば、そんなものは学校に行かなくても1人でできることがほとんどです。

 

 

集団教育・全体主義教育を疑い、そこに不満を持ち学校に行かないという選択をすることは本当に異常なことでしょうか?

 

 

自分自身を殺して学校に合わせることに疲れてしまい、安心できる新たな場所で色々なことを考えて過ごしたいと思う子供は自己中心的でしょうか?

 

 

私はそうではなく、むしろ既存の公教育そのものが変わるべきだと考えています。

 

 

しかし、現行の学校教育が変わることはまずあり得ません。だからこそ不登校は存在するわけですし、存在していいのです。

 

 

不登校の原因を学校ではなく児童生徒(当事者)の問題だと片づける風潮こそ、真の社会病理なのです。


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