不登校の原因を家庭のせいにする文部科学省

不登校の原因を語る時に、文部科学省などの教育関係者らは子供(当事者)や家庭教育が悪いから不登校になると言います。

 

 

とても困ったことですが、学校に来られない(来たくない)原因を当事者の目線で考えられているとはとても思えない実態があるのです。

 

 

怠惰などと片づける教育関係者

 

 

文部科学省(旧文部省)などは過去に不登校に関する実態調査などを行ってきました。

 

 

しかし、私が見た限りではその実態というのは不登校など学校に来ていない子供を学校に連れ戻すための上から目線の調査でしかなかったのです。

 

 

不登校などが存在する学校の教職員などへのアンケートを実施していた時期がありましたが、その結果大半が「当人や家族の問題」という結果になったのです。

 

 

当人の結果、つまり

 

 

「学校に来られないのは学校じゃなくて子供が悪いんです!」
「親が子供を甘やかしているからだ」
「社会性や協調性がないから学校に適合できない」

 

 

・・・というような回答をしていたわけです。

 

 

病気でもなく、非行などで特に問題行動を起こして処分されたわけでもないのに学校に来ないのは、怠けているだけだというのがそうした文科省などの主張なのでしょう。

 

 

あるいは、家庭のしつけ・教育がなっていないから我がまま・怠惰な子供が育つんだという考えも根強いのかもしれません。

 

 

とにかく、学校に来たくないと思うのは本人が悪いのであって学校の制度などは悪くありませんというのが文科省などの見方です。

 

 

しかし、学校に行きたくないと思う子供にはその人の考え方・人生があるのです。

 

 

国家が都合のよい国民を育てる制度として開始された義務教育制度に、全員がみな「はいそうですか」と納得できるわけではありません。

 

 

「なぜそんなものに9年間もつき合わされなければならないんだ」
「1人で教科書などを独習すればいいじゃん」
「やりたいときに自分がしたいことをしたいんだよ」

 

 

・・・こうした声があることは異常でしょうか?

 

 

「みんな違ってみんないい」などという道徳の授業が小学校で存在した記憶が私にはありますが、それならばなぜ不登校が問題にされているか理解できません。

 

 

学校に通わずに生きるという選択があってもいいはずなのに、学校が絶対の通過点とされてそのレールから外れる子供が問題視され、その原因も学校には無関係では当事者はたまったものではありません。

 

 

学校の方針に従っても人生にプラスになるものが大して見当たらないと思う人もいるのが自然です。

 

 

無気力や怠惰などと片づけるのではなく、学校が子供を長時間拘束するだけの対価を与えているかどうかを本来は疑うべきだと私は思います。

 

 

どうでもいいことを押し付けられても困るだけ

 

 

例えばですが、定食屋にあなたが外食に行ったとしましょう。

 

 

で、あなたは焼き魚定食を食べたいのに偶然そこにいたほかの客が

 

 

「おい、何で焼肉定食を食べないんだ!?おかしいだろ!」
「絶対焼肉じゃなければだめだ、ちゃんと食え!」

 

 

・・・などと言ってきたらどう思いますか?おそらく何言ってんだこいつはと思うでしょう。

 

 

人それぞれの好き嫌いや、興味の対象など誰も違うのが自然なのに一方的にこれをしないのはおかしいなどと言われれば、誰もいい思いはしないと思います。

 

 

不登校というのは立派な選択の1つであり、学校以外の場所で成長する権利を人は持っているのです。

 

 

学校に行かないことで誰かに損害を与えているなどということはありません。

 

 

しかし、なぜかこの義務教育という事に関しては学校に行かないことが悪だと一方的に決めつけられています。

 

 

問題だらけの空間から遠ざかろうとする子供が異常なのか、それともそうした学校でも通い続けることだけが正解なのか?

 

 

これを決めるのは文部科学省でも教育関係者でもなく、当事者だと私は信じています。


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