部分登校とは

部分登校(別室登校とも呼ばれる)とは学校の教室などで普通に授業を受けることなく、保健室や会議室などの場所に登校することです。

 

 

そしてこの部分登校の目的とはいたって簡単で、学校側が自分たちの学校から不登校児を極力出さないためのものです。  

 

 

管理する側の自己満足という現実

 

 

私個人はそもそもとしてこの部分登校などというものが心底バカバカしいと感じるのですが、これは現実問題として学校側としてはありがたい1種の方針・考え方なのです。

 

 

本来であれば授業を全く受けることなく授業などがすべて終わらない間に帰宅する児童生徒でも、少しでもいいから学校に来ている場合は不登校にカウントされないわけです。

 

 

保健室などに顔を少しだけ出し少数の仲間などと話してそのまま帰るというケースもあれば、会議室などで自習するような場合もあると聞きます。

 

 

また、放課後などに顔を出すだけの人や図書室などで本を読むなどの自習をして授業には出ないという学生も存在すると聞きますが、これも不登校にはなっていないのです。

 

 

実際に私が中学校の時にいつも朝の定刻通りに学校に現れず、昼過ぎくらいから給食だけ食べて帰る時が多い同期の友人がいたものですが、これも部分登校です。

 

 

当時の私からすれば、やはりおかしいというか「何をしてるんだこいつは」という感覚でした。

 

 

ただしかし、今の私からすれば特に何ら問題ではないという思いなので、価値観というものはずいぶん変わったなと感じます。

 

 

価値などあるのか

 

 

話を戻しますが、こうした別室などで部分登校などを学校が推奨する事例も少なくありません。

 

 

ですが、ここで冷静に考えてみて欲しいのはこんなことの為に子供が学校に通う必要などあるのか、ということです。

 

 

少しだけでもいいから学校に来て欲しいなどというのは、学校側の理屈ではないでしょうか。

 

 

本来大切なことは子供が学校で何を学ぶことが出来たか、そして子供が本当に学校に価値を感じて自発的に通いたいと思えるかどうかのはずです。 

 

 

にもかかわらず、

 

 

「学校に少しでもがきたからオッケー!」
「不登校じゃないでしょ、ちゃんと来てるわけだし」
「これで学校の名誉が保たれる」

 

 

・・・など、ただ児童生徒が学校に来たという結果だけを求めて本当に当事者にとって大切な事を学校側が考えていないのです。

 

 

こんなことの為に通学の時間を使い、無意味な精神的苦痛を与える必然性などあるでしょうか?

 

 

部分登校や別室登校をすれば、親としても多少の安心感はあるかもしれません。

 

 

しかし、重要なのは当人が政府の学校に少しだけでも通っていたいかどうかということであって、第三者の利害や世間体などは無意味のはずです。

 

 

こんなことを続けるくらいならば私であればずっと家にいるか近所などの図書館で学ぶなどしたほうが遥かに有益だと考えますが、いかがでしょう。

 

 

大切なことを大人が見落としていると、子供はただ馬鹿げた苦痛を味わい続けるだけだという認識を持ちましょう。


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