「不登校でいい」と認めること

子供が不登校になり学校に行かなくなったとしても、親は不登校をしっかりと認めることが大切です。

 

 

学校教育だけが正解であり、学校に行かないことは悪いことだという洗脳から子供を解放しましょう。

 

 

理解しなければ始まらない

 

 

学校教育、とりわけ集団一斉授業というのはかつての日本では殆ど受け入れられる事はありませんでした。

 

 

いうなれば圧倒的多数派が不登校だった時代が日本にはありましたし、別にそれが問題ともされていなかったのが過去の流れだったのです。

 

 

それを問題だと騒いでいたのは政府などの「お上」の人間らで、そこから徐々に就学率を向上させる方針をとり、ようやく学校に通うのは普通という常識を作ったわけです。

 

 

ですが、人に限らずどんな動物でも個々が望む環境と望まない環境が必ず有るのは当たり前なのです。

 

 

魚が陸上にいれば短時間で生きられなくなってしまうのは明白ですし、シロクマなどが赤道直下の熱帯にいればどうでしょう?

 

 

熱帯の植物などが、寒冷地などで良好に生長するでしょうか?

 

 

自然の産物は持って生まれた最良の環境がありますし、そこを離れれば幸せなはずがありません。

 

 

人間も同じように、学校が最適な環境だと言う人もいれば、学校以外の場所が最適だと言う人もいます。

 

 

それを認めるのが本来「個性」と呼ばれるものであり、人間としてごく自然の権利ではないでしょうか。

 

 

しかし、おかしなことに現行の日本の教育制度では公教育こそが正解であり、そこからはみ出す人は落ちこぼれだという認識が強すぎるのです。

 

 

不登校を甘えや怠惰・社会性の無い人間と片付けて、当人や家庭の問題にすりかえる風潮が非常に根強い国なのです。

 

 

ですが、現状の学校ではもう全国各地のいたるところで事件事故が起きています。

 

 

集団生活を出来るようにする訓練所だといいながらも集団生活が出来ない人間が沢山おりますし、悪質ないじめ自殺や暴力事件も数えればきりが無いほど起きています。

 

 

基礎学力を身につけさせるためだと言いながらも、学校の授業などについていけず小学校低学年の授業内容すら理解できていない中学生・高校生が山ほどいるのです。

 

 

これは制度としての学校教育がもたらした結果ではないでしょうか?

 

 

全体主義教育で、ただとりあえず全員に同じことをさせていればいいという管理者の思い上がった考え方が招いたことだと思うのです。

 

 

そして、不登校がこうした環境からの離脱を望むということであれば、それは健全な1つの反応なのではないでしょうか?

 

 

不登校のままで学校に行かなくても、生きていくうえで必要な勉強ができて、他者との関係を築く力を得られるならば、何の問題もありません。

 

 

不登校を病気や怠けなどと片付けるのは根本的に論点がずれているということに、しっかりと大人たちは目を向けてください。

 

 

そして、不登校になってしまったとしても不登校をを認め、不登校のまま生きる道をしっかり教えることが本当に重要な事なのです。

 

 

理解されずに家にも学校にも居場所が無くなるという苦しみは、当人にしか理解できない事です。

 

 

学校では教師たちから学校に来いと言われるだけで、学校以外の選択肢を教えられるわけではありません。

 

 

また、家では理解の無い親たちから「学校に行かないとダメ」としか言われないのです。

 

 

学校という1つの選択肢しか与えられず、そこから外れるともう生きて行けないと言わんばかりの大人しかいないと子供が感じれば、子供はどうなりますか?

 

 

今一度冷静になり、よく考えましょう。

 

 

かつての日本には学校などありませんでした。

 

 

少なくとも政府の学校は殆どありませんでしたし、民間人は個人経営の塾などで強制されずに学ぶのが普通でした。

 

 

学校に行かないと困った事になるよという大人は、私から言わせれば何も考えていない人です。

 

 

道はいくらでもありますし、選択肢は当事者が選ぶものです。そのことを大人は忘れてはなりません。


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