思いきり遊ばせること

不登校になった子供が家で遊んでばかりいても、親は必要以上に口出しせず思い切り遊ばせてあげましょう。

 

 

学校に行かずに子供が遊んでばかりいるとしても、心配する必要はありません。

 

 

学ぶ必要性や楽しさというものを当事者が感じれば、人間は自分から学ぶことを必ず覚える生き物です。

 

 

無目的なまま走らせる方が異常

 

 

学校に行かずに全く勉強しなくなってしまったとしても、それはそれでいいのです。

 

 

「家で漫画を読んでいるだけだ」
「ゲームばかりして、働かなくなったらどうするの!?」
「怠け者が育つだけじゃないのか」

 

 

・・・そうした声が本当に多いのですが、しかし結論から言います。

 

 

学校を出たとしても怠け者に育つ人はいますし、義務教育を受けても働いていない人は数限りなく存在します。

 

 
遊んでばかりいる子供を心配する気持ちは分かりますが、それは親の自己満足に過ぎないことをまず理解して下さい。

 

 

例えばですが、人は生命維持のために定期的に何かを食べたり飲まなければ生きていけません。

 

 

では、食べ物を食べるときに子供が調理の方法が分からなかったとしましょう。

 

 

ご飯でもスパゲッティでも、うどんでも味噌汁でもなんでもいいのですが、想像して見て下さい。

 

 

子供はそうした調理の仕方が分からなければどうするでしょうか?

 

 

もう言うまでも無い事ですが、必ず自身で調べて解決しようとするはずです。

 

 

自分自身が生きていくのに必要なことだからです。

 

 

空腹になれば食べ物を探し、そして調理が必要ならば調理の方法を学ぶでしょう。これは別に学校など通わずともできることです。

 

 

少なくとも、参考書や調べごとが自由にできる環境さえ整っていれば、1人だって身に着けられることは簡単に理解できるはずです。

 

 

また、興味関心のある分野について書籍を読みたがっているとして、漢字が分からないとしましょう。

 

 

子供はどうするでしょうか?

 

 

大人に聞く事も出来るかもしれませんが、大人が多忙で誰も教えてくれる人がいなければどうするでしょうか?

 

 

・・・そう、恐らく子供は1人で調べようとするはずです。

 

 

辞典でも何でも使い、好きな本を読めるようになろうとするものです。

 

 

このように問題・疑問点を調べて解決して、自分の人生の血肉にしていくことは誰でも何歳からでもできることなのです。

 

 

ましてや集団一斉でなければ学べない事などではありません。

 

 

自分の人生に必要なことを学ぶという目的と意欲が子供に芽生えれば、強制などなくとも自然に人は学ぶことが出来るのです。

 

 

しかし、学校の中では興味も関心も、それどころか役に立つかどうかも分からない事でさえも、とりあえず出来るようになりなさいといわれるだけです。

 

 

いうなれば、目的が見えないのに時間を割かなければならないわけです。

 

 

こんなことが5年・10年と続くことになれば、どうなるでしょう?自分から学ぼうという意欲は育つのでしょうか?

 

 

まともな人は必ず目的を持ち、意味を見出せることに時間を投資しようとするでしょう。

 

 

文字が書けるようになりたければ文字の学習をし、絵が上手くなりたければ絵の勉強をするものです。

 

 

サッカーが上手くなりたければそのための勉強や実技を学ぶでしょう。

 

 

全ては目的があるからこそ学習することは意味をなすはずです。

 

 

それを、目的もゴールも分からないまま教師の決めたことを「やれ」と命令されるのは異常なことだと思わないでしょうか?

 

 

不登校になってからゲームばかりしていても、家で寝てばかりいても、漫画ばかり読んでいても、当人は必要なことを学ぶ意欲を捨ててなどいないと見るべきです。

 

 

私自身もかつてそうでしたが、学校時代(小中学校)のときはTVゲームばかりでした。

 

 

義務教育などというものに価値を感じられず、しょうがないから登校するというだけの感覚しかありませんでした。

 

 

しかし、そのTVゲームの中に出てくる色々な国や道具の名前などに興味を持ち、本などでよく調べていたものです。

 

 

実在する国なのか?

 

 

歴史や文化などはどんな国なのか?

 

 

本当にこんな綺麗な自然がゲームではなく現実世界にもあるのか?

 

 

こうしたゲームを作るにも、多額のお金がかかるものなのか?

 

 

・・・こんな疑問などを私も持っていたものです。

 

 

また、四則計算などもゲームで覚えることも出来たと今思い返すと実感しています。

 

 

遊戯王などのトレーディングカードゲームなどでもそうですが、あれも結局は四則計算が出来ていないとまともに対戦することは出来ないことが普通です。

 

 

勿論、ただの娯楽だけで人が生きていけると言うつもりは私もありません。

 

 

しかし、不登校というだけで何も学んでいないと大人が決め付けるのはあまりにも短絡的なのではないかという思いは一貫して変わりません。

 

 

学校に行っているから勉強できて、しっかり学んでいるという大人の安心感を、一方的に子供に押し付けることは最善ではないはずです。

 

 

不登校であっても、学校に行っていないとしても、多くのことを学び成長している人は存在します。

 

 

そうした人の可能性というものを集団的・管理画一的な方法で押しつぶしてきたのが、現行の教育制度なのではないでしょうか。


トップページ プロフィール お勧めの書籍 広告掲載など お問い合わせ