いじめ自殺を隠蔽する学校関係者

いじめなどを苦に自殺する児童生徒らが出ると、こうした事件を隠蔽(いんぺい)し存在しなかったことにしようとするのは多くの学校関係者らに共通する体質です。

 

 

私自身は教育委員会などを含めて多くの学校関係者などが教育の専門家などと考えておらず、馬鹿げた組織ならば解体されるべきだと考えています。

 

 

学校がよければそれでいいという方針

 

 

過去の日本でいじめ自殺などが起きてしまうと、結局は学校関係者らにとってはとても不名誉なことなので隠蔽しようとする事件は決して少なくありませんでした。

 

 

具体的に列挙するとキリがありませんが、近年のものでは2012年の兵庫県川西市での17歳の高校男子生徒の自殺事件や、2011年の中学1年生のいじめ自殺事件などが挙げられます。

 

 

前者では学校の校長らがいじめ自殺事件だったという事を、学年集会などの説明時に「事故による死亡だったことにできないか」などと遺族らに話していたというのです。

 

 

要するに自分たちの学校でそんな大事件が起きてしまったなどという真実を認めることなく、とりあえずいじめ自殺が無かったという形式上の名誉を保てればいいという愚かな体質だったのです。

 

 

2011年の大津いじめ自殺事件もそうでしたが、結局は学校の教師や教育委員会なども含めていじめという犯罪行為で自殺に追い込まれた生徒が出てしまったということを隠蔽し続けていたのです。

 

 

後の捜査などによって結局は明らかに酷すぎるいじめの実態が明らかになり、ようやく因果関係が露呈しましたが、結局はこれも一歩間違えれば闇に葬られていた可能性が高い事件でした。

 

 

このように、馬鹿げた学校という組織の体質があまりにも目立つということは決して少なくありません。

 

 

いじめは良くない事だ何だと言いつつも、結局は本当に深刻ないじめやそれに起因する自殺事件などが出てきてしまえば何も真剣に対応しようとしないのです。

 

 

自殺者が出てもそれを隠蔽して、闇に葬ろうというのでは結局学校の教育関係者たちもいじめの同罪だと考えていいでしょう。

 

 

こんな組織の人間たちが

 

 

「いじめは絶対にいけないことです」
「100%根絶して、いじめのない学校を作りましょう」

 

 

などという綺麗事を幾ら表面上語り続けても、何の説得力もありません。

 

 

学校そのものがいじめを助長し、苦しんでいる被害者を助けるどころか死人に口なしと言わんばかりに、平然と自殺を無かった事にしているのでは笑えない冗談にすらならないのです。

 

 

学校というのが結局のところは運営第一で、そこに通っている児童生徒らの利益や満足度、心身の安全などを真剣に考えていないことが珍しくないことは過去の歴史が証明済みです。

 

 

そもそもとして政府の学校は利権だらけなので、こうしたことが起きてしまうのが残念ながら現実なのです。

 

 

学校教育に課題は多いといわれますが、こうした深刻な課題を放置し続けて根本的に解決させることも出来ないようであれば、学校など必要無いと言われても致し方ないのではないでしょうか。


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