数字だけを気にする体質が問題

文部科学省などは1999年から長年いじめ自殺ゼロなどという目標を掲げて、それが達成できていたなどと誇張していた時期がありました。

 

 

年月にしてほぼ7年間の間です。

 

 

しかし、これは言うまでも無くデタラメで、いじめ自殺が確実に起きていたことを隠蔽していたからこそ、数字の上ではゼロだっただけです。

 

 

「数字だけが全て」という愚行を持ち込むから

 

 

成果主義と競争の方針が政府の学校でも採用されたことに通じますが、これにより教育現場というのはおかしくなってしまったと言えるでしょう

 

 

「全国学力テストは税金の無駄」でも書きましたが、本当に馬鹿げた競争原理が持ち込まれてしまったことは過去に幾度と無く存在したのです。

 

 

無意味な学校間の競争(というよりも不正が横行したインチキ行事)のために莫大な税金が投下されて、児童生徒らが何一つ学力テストなどで得をしたことなどありません。

 

 

学校の教師や教育委員会の関係者たちが学力テストの成績を良くして、都道府県別ランキングを少しでも上位にしておきたいという目的でカンニングなどを平然と容認していたのです。

 

 

数字だけを少しでも高くすればそれでいいという思考しか出来ないということは、政府の学校には本当に多いものです。

 

 

例えば、

 

 

1 不登校の数
2 学力テストの学校別成績
3 いじめ件数
4 非行・犯罪に手を染める人間の数

 

 

・・・こうした背景が存在しているのですが、結局は数字を少しでも良くして上の人間たちから認められたいという学校関係者の都合でしかない場合が殆どです。

 

 

そして、数字が良ければ高く評価されて給料も上がるし昇進も早まるなどという体質が学校現場に存在するおかげで、こうしたいじめ自殺が平然と隠蔽されてしまうという現象が起きるのです。 

 

 

いじめ自殺が起きると学校の教師や校長、場合によっては教育委員会の人間らがグルになってこうした自殺事件を葬ろうとするのは競争原理・数字至上主義があるからという理由が大きいのです。

 

 

数字が良ければ待遇がよくなるというのは、逆に言えば何か問題などをおこしてしまったり、少しでもマイナスの要素になることを認めさせると評価が落ちるということでもあります。

 

 

特にこうしたいじめ事件や不登校の数などは大抵どの学校現場でも歓迎されていません。

 

 

教師の中では特に重要な評価の対象ということを私自身も聞かされていますし、事実不登校を減らそうと躍起になっている背景にこうした数字の功罪があるのです。

 

 

ましてや自殺事件などが学校の中で起きてしまえば、教師などは最悪の場合クビ(解雇)などの処分を受けてしまうわけです。

 

 

そのほかにも自殺者が出れば報道機関や遺族なども黙っているはずがありません。

 

 

徹底してこの学校の管理責任を問いただしますし、テレビなどで報道されてしまえば学校は汚名をさらしてしまうようなものです。

 

 

だからこそ、関係者たちが自殺者をそもそも不慮の事故などというように学校側とは何の関係も無かったように工作することが相次いでいるのです。

 

 

このような環境でまともな人間を育てるなどということが本当に出来るかどうか、今一度よく考えてみる必要があるのではないかと私自身は思うばかりです。


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