人命より学校の評価を優先する教育者

学校側がいじめ自殺を必死に隠そうとする理由として、入学者の確保の問題も大きいといえます。

 

 

自殺に至らなかったとしても、校内暴力や犯罪事件を起こすような人間を出す学校という評価を世間一般に与えてしまうということは、学校にとっては汚点なのです。

 

 

学校の入学者確保だけが重要なのか

 

 

まず、これは詳しく説明するまでもありませんが、政府の学校も結局は公(おおやけ)の場所です。

 

 

私立の小学校や中高一貫校と呼ばれる場所でさえも、結局は同年代の集団と同じことをさせられるという流れは基本的に変わりません。

 

 

学校とは各自治体などが管理している施設の1つであり、高校以上からは特に入学者の確保などを重要視している事例は山ほどあります。

 

 

そして、こうした入学者をいかに大量に確保できるかどうかというのは学校側にとってはとても重要な問題です。

 

 

死活問題と言っても過言ではありません。

 

 

例を出しましょう。

 

 

とある学校で、名前をここではK高校だとします。

 

 

K高校には毎年入学してくる生徒数が150人ほど存在していました。

 

 

しかし、このK高校はある時期から入学者が大幅に少なくなってしまったのです。

 

 

そして、劇的に入学者が減り続けてしまった結果、学校の運営に必要な資金などが確保できなくなり、廃校になって潰れてしまいました。

 

 

なぜ入学してくる生徒の数が異常に減ってしまったのでしょうか?

 

 

・・・そう、言うまでも無くそのK高校で陰湿・悪質極まりない悲惨ないじめ事件があり、生徒が自殺してしまったという事件が起きたからです。

 

 

こうした背景がありますので、結局は学校関係者などが働き続けられる環境を維持したいという思惑などがあり、いじめ自殺が隠蔽されるということなのです。

 

 

仮に入学者数が毎年減り続けて、誰も学校にお金を落とさなくなれば必然的に学校は機能不全になるわけです。

 

 

存続させる価値など無いはず

 

 

もっとも、私個人としては別にそうした学校などはどんどん潰れてしまえば良いという考えです。

 

 

小学校にせよ中学校にせよ、高校でも何でもいいのですが、とにかくいじめ自殺などを起こして結局は学校側の利益の為に闇に葬ろうとするような場所は健全ではありません。

 

 

海外の欧米諸国などであれば、こうしたいじめ自殺などを起こしてしまった学校などは管理責任を問われて廃校に追い込まれる事例なども少なくないといわれているほどです。

 

 

逆に言うならば日本の学校教育の現場とやらが杜撰(ずさん)な環境を維持し続けても、とりあえずは生き残っていられるということの裏返しでもあります。

 

 

誰の為に学校はあるのかと言えば、大多数の人は「子供の為に学校はある」と答えるでしょう。

 

 

しかし、現実はそうなっていません。

 

 

学校の運営の為に自殺などが起きてしまっても、それを隠そうとして生き残ろうとする愚かな教育機関は全国各地に存在するのです。

 

 

これは言うまでも無く、学校は学校の周辺で利益を得ている人間の為にあると公言しているようなものです。

 

 

あまりにも愚かなことですが、自殺者が出ても学校教育の綺麗事や絵空事は全く変わりません。

 

 

現場が劇的に変わることを期待するのは無意味なことだと考えてもいいでしょう。


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