優劣をすぐに付けたがる仕組みがいじめを生む その5

学校の中では教師などが競争させて何でもかんでも成績を付けて、子供に優劣を付けます。

 

 

このおかしな仕組みこそがいじめを起こす要因の1つになっていると私は考えています。

 

 

無意味な競争を押し付けられた結果

 

 

学校ではテストの点数や通知表の成績などという馬鹿げた分類システムが存在します。

 

 

これはもう言うまでも無く、殆どの人が分かっていることのはずです。

 

 

そして、

 

 

「テストの点や通知表の評価が高い人が良い子で優等生。逆にそれらが悪い人は劣等性で駄目な子なんだ」

 

 

という意味不明な思想・幻想を児童生徒らに押し付けているのは言うまでもありません。

 

 

こうした競争させられて優劣を付けられるのが当たり前という環境では、当然ながら自然と自尊心が高い子供と低い子供が出てきてしまいます。

 

 

ここで自尊心・自尊感情が低い子供というのは、やはりいじめの被害者になりやすいのではというのが私の考え方です。

 

 

例えば、学校の勉強やスポーツなど全般的に得意な子供は、学校自体が苦痛ではない可能性が高いと言えるでしょう。

 

 

逆にそうではなく、勉強もスポーツも不得意だという子供は、学校自体に価値を感じられずに何をするにも消極的になりやすいというのが経験上の判断です。

 

 

そして結局は学校というのは集団一斉で同じことを行うようなシステムなので、言い方は悪いかもしれませんが、どうしても

 

 

「付いていけない子供」
「出来なくて足を引っ張る結果になる子供」

 

 

が出てきてしまうものなのです。

 

 

例えば、合唱コンクールや体育の行事(球技大会など)で、上手く周囲の人間と同じことが出来ない場合などは、孤立してしまいがちです。

 

 

そして、出来る子供が出来ない子供に対して何かと嫌がらせや嫌味なことを言い放ち、それを繰り返して苦しめるという現象が実際に起きるのです。

 

 

「何でお前こんなことも出来ないの?」
「お前が下手だから、みんな迷惑してるんだよ!」
「いっそ、いなくなってくれればいいのにな〜」

 

 

・・・こんなことを言う人間が出てきてしまうわけです。

 

 

言うまでも無くもう十分すぎるいじめ(精神的苦痛)なわけですが、こうしたことが実際問題として全国各地の学校で起きていることは想像がつくでしょう。

 

 

実際私自身こうした経験が学校の中で存在しました。

 

 

私が小学校高学年くらいだったと記憶していますが、体育の授業か何かで学年全クラスのバスケットボールやリレーの対抗試合のようなものがありました。

 

 

私は正直運動は不得意で、球技も陸上も上手くできなかったのです。

 

 

そして、同じクラスの人間たちがミスを連発する私に対して何かと暴言みたいなことをしつこく言い続けていました。

 

 

私自身も別にやりたくてこんな行事に参加しているわけじゃないと思いながらも、学校の決めたことだから従わないといけないという気持ちで、泣きながらも耐えました。

 

 

嫌な気持ちしか残らなくとも、どんなに惨めな思いをし続けても、とりあえずチャイムが鳴り終わるまでは私は我慢していましたが、結局は自己満足でした。

 

 

今になって思えば、あんな無意味で馬鹿みたいな行事に参加する必要はなかったと思うばかりですが、こうした無意味な競争の中で他人と比べられていじめを受ける子供は少なくありません。

 

 

価値のある競争ならば分かるが、学校は論外

 

 

恐らくこうしたことを書くと

 

 

「社会に出れば同僚と仕事ぶりを比べられるのは当たり前」
「何も出来ない奴が会社に残っていられるわけないだろ」
「競争はどんな世界にもあるんだから、子供だって厳しさを知らせるべき」

 

 

というような意見が出てくるかもしれません。

 

 

勿論、競争が私自身もまったくいけないことだなどとは言うつもりはありません。

 

 

企業が市場により良い価値を持った商品やサービスを提供するために、同業他社などを追い越そうとするような競争には確かに意味があります。

 

 

また、オリンピックやプロスポーツなどで、より良い記録や戦績などを残そうとすることにも十分価値は有ると思います。

 

 

しかし、学校現場にそうした競争を持ち込むことは正当なことでしょうか?

 

 

良い成績を残そうと努力したところで、どうしても出来ない子供が出てきてしまう中で必然的に優等生と劣等性という烙印を押されてしまう環境が正常でしょうか?

 

 

人は皆全て生まれ持った能力は違うのが当たり前です。

 

 

100メートルを10秒以内で簡単に走れる人もいれば、どれだけ努力しようが走れない人もいるでしょう。

 

 

それは認められて良い違いのはずであり、個々人の個性のはずです。

 

 

全てがみな万能にこなせる人間などまず存在するはずが無いのです。

 

 

競争させたところでそこに通っている子供たちが価値を感じられず、競争に勝ったとしても何の恩恵もないというのであれば、それは不当で無意味な競争ではないでしょうか。

 

 

また、社会人になれば比べられるのが当たり前だという人もいますが、社会人は自分の就職先を自分の意思で選び変更するということが出来るはずです。

 

 

明らかに不向きであったり、能力不足や力を発揮できないと感じれば転職するという選択肢があるのです。

 

 

しかし、子供には基本的にそんな権限はありません。

 

 

馬鹿馬鹿しいカリキュラムや向いていないことでも、とりあえずつき合わされなければならないのです。

 

 

そんな環境の中で無意味で無目的な競争を押し付けられ、いじめの温床が出来てしまうということは、大人側が認識して変えていくべき問題のはずです。

 

 

価値のある競争もあれば、無価値で有害な競争もあると言う事をよく考えましょう。


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