強さ弱さの問題ではなく、人格の問題

いじめは弱いからいじめられるなどということはありません。

 

 

加害者の人間性が低すぎるから起きることだということに気付いて下さい。

 

 

いじめ問題を語るコメンテーターなどが「弱いからいじめられるんだ!」などということを言いますが、こんなものは耳を貸す必要はありません。

 

 

他者の苦しみを理解できるかどうか

 

 

いじめというのは何度も繰り返しますが、それ自体が犯罪に直結することがとても多い反社会行為です。

 

 

また、重度ではなくとも他者に不快感や嫌悪感を与えるものなので、決して認められるものではありません。

 

 

悪口や陰口のほか、あからさまな無視や仲間はずれなどもそうです。

 

 

しかし、殴る蹴るなどのほか、水をかけたり給食にゴミなどを入れるという行いが、いじめなどという言葉で曖昧にされているおかげで、学校では問題にされないことも多いものです。

 

 

ここで整理しておかなければいけないことは、いじめが起きたとして加害者を擁護するような発言は絶対に排除しましょうということです。

 

 

加害者が強くて被害者が弱いから悪いというのは、そもそもとして論点のすり替えでしかありません。

 

 

肉体的な弱者だからといって子供や病人などに暴力をふるったり、刃物で切りつけたりすればどうでしょうか?

 

 

そもそもとしてそれが社会の中で許されることではないということは、誰が見ても明らかなはずです。

 

 

仮にもし殺人事件に発展した場合、社会はどのような判定を下すのかは言うまでもありません。

 

 

これ以外でも、弱いからいじめられるという理論がどれだけ馬鹿げているかということは、冷静に考えればすぐに分かることです。

 

 

例えばですが、とても綺麗な花が咲いているとします。

 

 

 

 

 

恐らく殆どの人は花が無抵抗だからといって、踏みにじったり切り刻んだりしないでしょう。

 

 

人間に何の害悪ももたらさずにただ咲いているだけの存在が一般的な花であり、花に危害を加える理由が何も無いからです。

 

 

もしその花に危害を加えるようなことがあれば、それは花を美しいと思えない人間の品格・感性の問題だと考えるのが自然でしょう。  

 

 

何の理由も必要性も無く花を引き抜いたり切り刻んだりするということは、健常者ならばまずそんなことはしません。

 

 

声が出なくとも、無抵抗であっても、花が無害であり共存できる存在だと認識できれば、傷つけるのはかわいそうだと感じるのが優れた人間性を持った人です。

 

 

いじめ問題においても同じ事です。

 

 

別に何ら問題もないような人が、少し周囲と違っていたり話す事が苦手だったりするという理由だけで不当な扱いをされるのです。

 

 

これはどう考えてもおかしいことではないでしょうか?

 

 

こんなことを強さ弱さの問題として片付け、加害者の人格や人間的な成熟度などを全く指摘せずに片付けてしまう現象が日本では少なくありません。

 

 

この流れを変えるためにも、そしていじめ問題を解決するためにも、まずはいじめというのは強さ弱さの問題ではなく、人間性の問題であるという真実に気付いて下さい。

 

 

私個人の意見としては、やはりテレビなどのメディアが的外れな意見を垂れ流して加害者を擁護する発言をすることが少なくないことも原因だと考えています。

 

 

しかし、いくらそうしたことを叫んでもメディアを変えることは恐らくできません。

 

 

だからこそ、この文章を読んでいるあなただけはまずこの真実に気が付いて欲しいのです。

 

 

どんな場合でもどのような形であっても、加害者は悪いのです。

 

 

いじめは人間性が低い人間の行いであり、被害者は弱くなどないということを正しく理解して下さい。


トップページ プロフィール お勧めの書籍 広告掲載など お問い合わせ