相対評価も絶対評価もどうでもいい

通知表の付け方が変わり相対評価から絶対評価が主流になりましたが、こんなことはどうでもいいのです。

 

 

通知表の成績が良ければ「優等生」で、悪ければ「劣等性」などという馬鹿げた階級意識を子供に根付かせている現実は何も変わっていません。

 

 

「成績=金」の幻想から覚めるべき

 

 

日本の通知表の評価方法について少しだけ解説しておきますと、過去の評価方法というのは相対評価と呼ばれるものでした。

 

 

これはクラスの中でAや5などの評価を与えられる人数というものが予め決まっており、どんなに頑張っても必ず高い評価が付かない子供が出てくると言うものでした。

 

 

しかし1998年付近から学校での評価方法が変わり始め、今度は絶対評価と呼ばれる方法が主流になったことは既にあなたもご存知でしょう。

 

 

これによって今までは同じ成績でも違った評価になるという不公平だった現象が無くなり、学習指導要領の内容を理解して条件を達成すれば全員が高評価になるというシステムになったわけです。

 

 

これにより、それまでの不公平感は確かに解消されたといえます。

 

 

しかし私は通知表の評価方法云々などというもの自体どうでもよく、通知表自体が心底下らないものとしか思えない人間です。

 

 

通知表の成績が高いことが「良い」とされ、低いことが「悪い」とされているなどということは単なる等級付けに過ぎません。

 

 

そして、通知表の成績がやテストの点が良かったかどうかなどという話題が活発に騒がれるのは学校という狭い檻(おり)の中だけです。卒業してしまえば誰も話題になどしないでしょう?

 

 

確かに大学生などは就職する間際になって成績の提示を求める企業も増えてきたと言われますので、就職先によっては重要になるかもしれません。

 

 

「それならやっぱり成績は大切じゃん!」

 

 

・・・という考えの人もいるでしょうが、冷静に考えて見て下さい。一度の就職活動のために良い成績を取り続けたとして、その会社に生涯残り続けることができる保証が有るでしょうか。

 

 

ましてや成績の開示を求められるのは新卒とよばれる卒業生くらいだというのが世間一般の風潮です。

 

 

自分が本当に将来なりたいもの・職業などに進むために成績を高くする必要があるのであれば、どんどんそうした方がいいでしょう。

 

 

しかし、何の目的も無いような人間に対して相対評価だの絶対評価だのと訳の分からない基準を持ち出して、目の前の成績だけを上げさせればいいという風潮はおかしくないでしょうか。

 

 

 小学生・中学生・高校生などの学生たちが、目先の数字だけを高くしなさいと言われ続けて育つというのは明らかに異常だと考えます。

 

 

「学校の成績がお金や将来の安定につながる」などという感覚で、学校の教育関係者らは子供たちを競争に追い立てます。

 

 

しかし、競争の中では必ず残れる人と残れない人が出てくることは誰もがわかることでしょう。

 

 

そして、その競争に疲れ果てた子供たちは本来の学ぶ事の楽しさや素晴らしさなどに気が付くでしょうか?

 

 

私にはとてもそうは思えません。

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