「均等で同じ人間を作る」という思い上がり

学校は同じ能力・同じ事が出来る平均的な人間を作ることをその制度の目的としていますが、これ自体が政府の人間の思い上がりだと私は感じます。

 

 

教育を施す側の人間たちの思い通りにならない児童生徒を劣等性呼ばわりし、授業などについて来るのがさも当然のような風潮が蔓延しているのです。

 

 

しかし、児童生徒は教師や学校の「物」ではありません。1つの個人であり、自然界の中の一員なのです。

 

 

同じものなど存在しないのが本当の自然である

 

 

自然界を見渡せば分かると思いますが、同じようなものと言うのは実は殆ど存在しない事が分かるはずです。

 

 

川に落ちている石など1つとっても、丸い石もあれば三角形に近いような石などもあります。

 

 

また、私は野菜が好きでよく生の野菜や冷凍野菜を食べるのですが、野菜だって全く同じ大きさや同じ形状の野菜などまず有り得ません。

 

 

奇妙な形をしているようなへんてこな野菜だって中にはありますが、これは野菜というのは自然が生み出した作品だからです。

 

 

同じ生産地・生産場所でも育つ速度も違いますし、形もなにも違うのが当たり前なのです。

 

 

しかし、こと教育にしてみればどうでしょう。

 

 

学校という空間の中で教師の授業ペースについていくことが出来ない子供は「駄目な子」扱いされます。

 

 

文部科学省が定めた学習指導要領の内容を理解できない子供は出来損ない扱いされ、学校という空間から疎外感を感じる事になるわけです。

 

 

無意味な競争をさせて「勉強できる子供」・「従順な子供」を選別し、勝者と敗者という差別意識を根付かせるなどということが当たり前になっているのが学校です。

 

 

人間だって自然界を構成する1つの存在であり、同じ人間は誰一人として存在しません。 

 

 

名前はごく稀に同姓同名があるかもしれませんが、顔も肌の色も、身長も体重も体力も違います。

 

 

そして個人の性格だって勿論違います。理解力や記憶力・目的や価値観なども違うということは小学生でも分かるはずです。

 

 

それを学校という場所では全く同じときに同じ事ができるのが当たり前という圧力をかけ、子供を同じ機械の部品のように作り変えようとしているのです。

 

 

これは教師や学校などのいわゆる「管理する側」の人間たちの都合でしかないのではないでしょうか。

 

 

児童生徒1人1人をかけがえのない個人として尊重し大切に育てるという発想ならば、学校という場所で監理・競争・服従を強制しているはずがありません。 

 

 

全ては「政府の学校」の関係者たちの思い上がりでしかないのです。

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