不登校とフリースクール

フリースクールは言うまでも無く不登校で学校に行かない子供が選ぶ道です。

 

 

しかし、それはその子供が学校に行けずに通学している子供よりも劣っているということではありません。 

 

 

不登校というのは選択肢の1つであり、その人の生き方の1つです。

 

 

それを学校に通っているから偉く、学校に行かずにフリースクールなどに通っているから駄目な奴などというラベリングが行われること自体が愚かなのです。

 

 

学校神話を押し付けるのは愚か

 

 

これは日本社会全体に広く蔓延しているある種の空気・価値観ともいえますが、学校に通学する児童生徒が無意識の内に偉いという風潮があります。

 

 

各自治体が管理している政府の学校にしっかり登校し続けて、嫌なことでも無意味だと思う事でも不平不満を言わずに黙々と授業を消化できる子供が偉いということです。

 

 

しかし、日本に限らず歴史を遡(さかのぼ)れば政府の学校教育などが開始される遥か以前から、民間組織の教育で人々は育つのが普通でした。

 

 

そして、義務教育という国の都合で作られた制度に圧倒的多数の人々が反対していた時期がこの日本にも存在したのです。

 

 

それがようやく変わった事で、人々が学校教育に対する疑問や反感を持たなくなり、子供は学校に通うのが当たり前という風潮に切り替わったのです。

 

 

それからというものは、学校に来ない子供を問題として、登校拒否や不登校などという子供を差別して分類する用語なども登場してきましたが、それは学校関係者たちの都合です。

 

 

明治になる前は民間経営の教育機関で、人々が自由意志で学ぶことはごく自然なことでした。

 

 

寺子屋など(市民の手で作られた学校)が圧倒的多数であり、殆どの人は今で言うところのフリースクールで基礎的教育を受けていたのです。 

 

 

勿論、寺子屋に通わなかった人も相当数存在したと言われていますが、それは1つの道として尊重されていたはずであり、学校に行かないから人間失格などということは無かったでしょう。

 

 

それが現代社会では学校神話が幅を利かせて、子供やその家族たちを苦しめているわけです。

 

 

これはどう考えても異常なことではないでしょうか?

 

 

人生の選択肢は幾つもあり、人々がどんな手段を使って学び成長するかなどは、本来その人自身が選択する権限があるはずです。

 

 

不登校だから駄目な子だとか、フリースクールだから落ちこぼれだなどというのは、理解の無い人間たちの根拠の無いただの差別でしょう。

 

 

フリースクールだから学校に通学している子供と比べて劣っているなどという事は絶対に有り得ません。

 

 

不登校で学校に行かないというのも1つの選択で、政府の学校ではなく民間経営の組織で成長したいというのも1つの生き方として認められていいのです。

 

 

学校を判断基準にして優劣を付けるという馬鹿げた発想を見直すことがとにかく大切なことです。

 

 

不登校でもフリースクールでも、その人自身が納得できる道であるならば何の問題もありません。


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