エデュケーションとは引き出すこと

エデュケート(educate)の意味は英語では「教育する」という意味ですが、真実は違います。

 

 

それは、「内にあるものを引き出す」というのがエデュケートの本当の意味なのです。

 

 

ラテン語の素晴らしい言葉

 

 

エデュケートとは元々ラテン語の1つと言われており、私も始めてその言葉の意味を知ったときには素晴らしいなと感じました。

 

 

大多数の人にとっての教育の正解とは、誰かの決めたこと(殆どの場合は政府の学校)に従って教えを受ける事だと思います。

 

 

ようするに、国などが決めたことを受動的に嫌々ながらでも受けてこそ初めて1人前になれるという考えです。

 

 

誰かに管理され、強制されなければ何も身に着けられないという思想に基づいているのが、いわゆる「スクール」ではないでしょうか。

 

 

1 いつ

2 どこで

3 何を

4 誰と

 

 

これらを全て学校が取り仕切っているわけです。

 

 

つまり、国民は政府が決めたカリキュラムを受けなければ学習できず、社会生活が出来ない人間になるからスクールで教育を受けなさいという思想なのです。

 

 

1人前の人間に子供を育てたければ、幼少のときから子供を囲い込んで管理・強制・競争をさせましょうというのがスクールの方針と言えるでしょう。

 

 

しかし、エデュケーションは違います。

 

 

エデュケーションは前述の通り、既に内にあるものを引き出し、開花させるというのが真の意味です。

 

 

つまり、人は本来学習する意欲を持ち、何をいつ、どんな方法で学習するかを知っているという思想なのです。

 

 

つまり、エデュケーションにおいては学習の主役は1人の人間であり、学校を中心に置いていません。

 

 

学校はあくまでも、そのエデュケーションのために活用する為の1つの手段に過ぎないのです。

 

 

 

 

 

そして、私自身もこのエデュケーションに大賛成の人間の1人です。

 

 

人は自身の興味関心・情熱に基づいてこそ本当の学習意欲を発揮できますし、やりたい事や成し遂げたい事に関われるからこそ人生は輝くと言えます。

 

 

しかし、政府の学校ではどうでもいいような時間割や行事・人間関係などに時間を使わされ、長期間を拘束され続けなければなりません。

 

 

やりたくも無い事を強制され、無意味な受験競争や管理を受け続けることになっているのが「スクール」なのです。

 

 

しかし、人は本来自分の人生に本当に必要だと思う事であれば、誰かに強制されずともしっかり学んでいける力があります。

 

 

本が読みたければ文字の勉強をしますし、お金を深く知りたければ数字の勉強をするはずです。

 

 

歴史を知りたいと思うのであれば、歴史書を誰にも言われずとも読もうとするでしょう。

 

 

つまり、人間の持つ学ぶ意思を最大限に尊重するのが、このエデュケーションという選択なのです。

 

 

 

 

 

何よりも、私がホームエデュケーションをホームスクールと呼ばない理由はここにあります。

 

 

誰かに管理されて、嫌々ながら無理強いされる「スクール」を、家に移しただけということになるのは本末転倒だからです。

 

 

あくまでも学習の主役は当事者である子供であり、大人はそれをサポート・補助するというのがエデュケーションだというのが私の考えです。

 

 

子供が学びたいことを、学びたいときに、子供が望む方法で学ぶ手助けをするというのがエデュケーションだと考えるのが自然です。

 

 

管理されなければ何も人は学べないし、何もしようとしない怠け者に育つから、学校に行くことがただ1つの正解というスクールの考えが私は心底嫌いなのです。

 

 

だからこそ、スクールとは対極に位置するこのエデュケートは本当に素晴らしい言葉だと私は考えております。

 

 

人間の自由意志を最大限尊重し、個人の自主性・主体性を最大限に生かす道が、エデュケートなのです。


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