親は誰もが教師になれる

ホームエデュケーションに限らず、親というのは誰もが子供にとって素晴らしい教師になれるものです。

 

 

そして、ホームエデュケーションにおいては最大の教育者・教師とは保護者である親だと言えるでしょう。

 

 

私がなぜ資格を持った教師という存在を否定するのかという最大の理由はここにあるのです。

 

 

教えたいという気持ちのある人がみな教師

 

 

例えばですが、鳥を例に説明します。

 

 

親鳥は子供の鳥に飛び方を教えるのですが、それはどうするかというと、実際に自分が子供に飛ぶ姿を見せて手本を示すのです。

 

 

そして子供を1人で飛べるように教育するという暗黙の流れがあるのです。

 

 

そこには誰も資格を持った専門家など存在しません。

 

 

飛べる鳥であれば教師になれるのです。

 

 

しかし、人間の世界ではなぜか学校という場所と教員免許を持った教師という専門家の存在が絶対視されています。

 

 

教師と同じ事ができる人々がいても、教員免許という資格が無いから教えてはならないという空気なのです。

 

 

これはどう考えても異常なことではないでしょうか?

 

 

基礎的な識字能力や計算能力を持っている人は学校関係者でなくても山ほど存在するはずです。

 

 

にも関わらず、自称専門家がいる政府の学校に必ず子供を預けなければならないなどという馬鹿げた制度が人々を苦しめているのです。

 

 

学校に行かなくとも、学校で習うようなことと同じことが家などで学べるならば学校に固執する必要などありません。

 

 

そして、資格など持たない人でも教えられる能力と意欲が有る人であれば全ての人が教師になれるのです。

 

 

ホームエデュケーションは正にそのことを明確に物語っている選択肢の1つで、親が子供を教育するという正当不変の権利を行使しているだけなのです。

 

 

親が読み書きや計算を教えたり、家事やお金のこと以外にも礼儀礼節・マナーなどを教えることは普通に可能です。

 

 

そもそもとして、義務教育の目的が基礎学力や社会生活上必要な能力を身に着けさせることだというのであれば、殆どの日本人は子供に教育する力があるはずです。

 

 

それが親は教えられないから「学校に行って教師から教わりなさい」というのは、どこかおかしな話ではないでしょうか?

 

 

学校を出ていれば知っているはずのことを、子供に教育できないという時点で義務教育の目的は達成されていないと考えられるのではないでしょうか?

 

 

学校が目的とする基礎学力など定着していないという証拠だからです。

 

 

もし仮に教えられないのであれば、そうした教えを受けられる学校以外の組織・集団で学ぶという道もあるはずです。

 

 

いずれにせよ重要な事は子供を政府の学校に預けて教師たちの命令に従わせることではなく、あくまでも当事者がどのような環境で何を学びたいかという問題だと考えます。

 

 

もし

 

 

「学校なんて行きたくないから、お父さんお母さんから勉強を教えて欲しい」

 

 

・・・こうした声が聞こえてきたならば、もう学校へ行かせるのはやめましょう。

 

 

親が誰しも最良の教師になれる可能性を持っているということを忘れずに、ホームエデュケーションを選択できるようにして下さい。


トップページ プロフィール お勧めの書籍 広告掲載など お問い合わせ